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50年前の奔別炭鉱②


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2021-10-11(月)

1971年10月に閉山となった奔別 (ぽんべつ) 炭鉱の写真の続きです。

この記事の前編↓
『50年前の奔別炭鉱』

閉山作業中の10月29日に発生した爆発事故のあとの写真となります。

国土画像情報(一部編集)

※国土画像情報 (カラー空中写真) 国土交通省より抜粋.(一部を編集)

奔別炭鉱

爆発によって、建物の壁が壊れているのがわかります。

奔別炭鉱

炭鉱の東側にある月見 (つきみ) 坂からです。

奔別炭鉱

奔別炭鉱

奔別炭鉱

ベルトコンベアーがあった施設でしょうか。途中で崩れてしまっています。

奔別炭鉱

私の祖父です。炭鉱の職員として働いていました。

幾春別中島

幾春別中島

幾春別 (いくしゅんべつ) 中島地区の公園からです。

何かの工場みたいな大きさです。

奔別小学校

奔別小学校です。
私の祖母の母校でもあります。

炭鉱の全盛期には、1500人の児童数を誇ったそうです。

ちなみに、すぐ南隣にある幾春別小学校も1500人だったらしいです。

奔別小学校

小学校のグラウンドわきです。
学校の職員住宅でしょうか。すでに閉鎖されています。

住宅の取り壊し

幾春別 (にしき) 町だと思います。
今の博物館付近です。

住宅の取り壊しが始まっています。

奥にあるのは、幾春別小学校でしょう。

住宅の取り壊し

住宅の取り壊し

この写真の場所はわかりませんでした。

炭鉱住宅

住宅の取り壊し

炭鉱住宅です。
下の写真の左端は、弥生 (やよい) 町に残っている住宅と同じ形です。

住宅の取り壊し

住宅の取り壊し

住宅の取り壊し

これもどこだかわかりません。
なにせ50年も前です。

産業がなくなって、町が寂れていく様子がわかります。

2022/08/02

  1. リンクを追加

閲覧ありがとうございました。

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コメント

②を見せてもらい感謝、有り難う

50年前の奔別炭鉱②最高級。  50年前の奔別炭鉱①を教えて下さい。1939年生まれの爺です。現在地:大阪府豊中市少路2丁目
 
2021/10/11 20:11
2021-10-11(月)
1971年10月に閉山となった奔別 (ぽんべつ) 炭鉱の写真の続きです。
閉山作業中の10月29日に発生した爆発事故のあとの写真となります。

Re: ②を見せてもらい感謝、有り難う

shigenobu shishidoさま

コメントをありがとうございます。

①にあたる記事のリンクです。コピーして、貼り付けて移動できます。

『50年前の奔別炭鉱』

https://semiritaiayume.blog.fc2.com/blog-entry-811.html

また、それぞれの記事にリンクを作っておきます。

またのコメントをお待ちしています。

記事名:50年前の奔別炭鉱②.
返信日:2022年8月2日.

No title

多分 川端町の炭住だと思います。


Re: No title

ゲストさんさま。

コメントをありがとうございます。

奔別の川端町ですか。

私、幾春別 (いくしゅんべつ) のどこかだと思っていました。
どうりで、見たことがないわけですね。

現在は、砕石や露天掘りの石炭を置いていおくところになっており、炭住や民家や商店はありませんからね。

昔は、あの坂 (月見坂) をバスが上って行っていたというから驚きです。

奔別の町並みや巨大な小学校を見てみたかったです。

またのコメントもお待ちしています。

記事名:50年前の奔別炭鉱(2).
返信日:2022年10月30日.

管理人のみ閲覧できます

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Re: No title

*さま

コメントをありがとうございます。

非公開コメントのため、返信は控えます。

(とても参考になる情報をありがとうございます。地図や古い航空写真と見比べてみたいです。)

(この写真は、私の祖父 (故人) か祖母が撮ったもので、家の整理中に出てきました。当時、祖父は、奔別炭鉱に勤めており、炭鉱の閉山まで、幾春別や奔別に住んでいました。写真は、閉山が決定し、再就職のため、三笠市を離れる直前に撮ったものと思われます。)

またのコメントをお待ちしています。

記事名:50年前の奔別炭鉱②.
返信日:2023年9月30日.

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プロフィール

しゅう

Author:しゅう
1991年北海道三笠市生まれ。プロフィール

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