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私は何か


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2019-7-8(月)

記事の公開が1日遅れてしまいました。七夕の話題がありますが、そのまま出します。

今日は七夕 (たなばた) です。
七夕は、桃の節句,端午の節句などと並ぶ五節句のひとつで、本来は旧暦のイベントだったらしいですね。

こちら北海道では、8月7日を七夕にしている地域もあり、本来の時期により近いということです。

そろそろ、どこかのコンビニ大手が、恵方巻きや (うなぎ) のように大消費キャンペーンを企ててくると思いませんか。

本題。

小さいころの私が写った写真を見て、“あのころは楽しかったな” と思うことしかありません。
写真は “真を写す” と書きますので、写真の中の私こそ真の私なのでしょう。

“どうして大人は楽しくないか” を考えるときに、タイトルのようなことが浮かびました。

さて、心身,全身全霊などの言葉があるように、人間をソフトウェアとハードウェアに分ける考え方は昔からあります。

ここでは、現在の私が考えている私とは誰か,何か,どれかを書きます。

  • 写真の私
  • 私のクローン
    • そのまま
    • 脳を交換
  • 他人と脳を交換
  • 機械身体に
    • 脳を輸入
    • 人格,記憶のみを輸入
    • 人格、記憶をそれぞれ輸入(2体)
    • 脳裏コピペで量産
  • 仮想化

“質問:私はどれですか”

写真の私

“5枚の写真から私をそれぞれ切り抜いて、他の1枚に貼り、5人の私が写るものを作る”

“答え:全て私である”

私のクローン

そのまま

身体をオリジナルとクローンで区別します。
クローンはオリジナルより若いです。

クローンは歳の離れた双子であり別人だと考えます。

“オリジナルだけが私”

脳を交換

オリジナルとクローンの脳を取り換えっこします。

人格や記憶がクローンに移りますので。

“クローンが私である”

他人と脳を交換

他人と脳みそを“ばくりっこ” することで、見た目と人格,記憶が入れ替わります。

人格や記憶が他人の体に移りますので。

“他人の体が私である”

機械身体

脳を輸入

私の脳を機械の身体に移します。
肉体は消滅。

人格や記憶が機械身体に移りますので。

“機械身体は私である”

人格,記憶のみを輸入

同じく人格や記憶が機身に移りますので。

“機身が私である”

人格、記憶をそれぞれ輸入(2体)

私の人格のみを移した機械身体と、私の記憶のみを移したものをそれぞれ用意します。

“人格を移された機身が私である”

脳裏コピペで量産

私のソフトウェアをコピーして、たくさんの機械身体に貼りつけます。
オリジナルも残存。

すべての身体が私の人格を有しますので。

“すべて私である”

仮想化

インターネット上に私の人格,記憶などを移した “アバター” を作ります。
オリジナルも残存。

“オリジナルもアバターも私である”

結局、何が言いたいかというと。

人格を引き継いだものが私であり、身体,記憶はどうでもいいということです。

言い換えると、人間とは肉体ではなく人格であるでしょう。

また、赤ちゃんや認知症では人格が不安定ですので、人格は身体によって保存されていると言えます。

ところで、人格は児童期までに形成されるといわれます。

ということは、身体さえどうにかすれば、人格は子どもと一緒ということですよね。
実現に希望が見えてきました。

いつの日かクローン私を騙 (だま) して、脳みそをばくりっこしたら。

やっぱり「カラダ返せや!」ってなるのかな。

閲覧ありがとうございました。

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プロフィール

しゅう

Author:しゅう
1991年北海道三笠市生まれ。プロフィール

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