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集団と妥協


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2019-3-31(日)

3月もきょうで終わり、明日から新年度です。
「明日から中学生だ」と喜んだ小学生時代が懐かしいです。
いつから、未来への希望がなくなったのか。


本題。

ヒトは群をつくる生き物です。
古くから里をつくり、村をつくりました。
現在もアジア(人)や国家,自治体という枠、都市や地区,学校・会社,家庭という集団へ所属しています。

という大層な前書きをしてから、群れたがりへの愚痴です。


子どものころからいますよね。
“ひとりでは遊べない人”

子どもの遊びはそもそも集団的で、鬼ごっこかテレビゲームをやれば大多数が満足しました。
子どもの“ども(供)”は“わたしども”のように複数をあらわす接尾語であり、集団性をうかがえます。


問題は、ひとりでは遊べないまま大人になることです。

「ね~、週末みんなで飲み会しよ~」
「さすがに~、独り焼き肉は~、だからさ~、付いてきて~」

あなただけがしたいなら独りでしなさい、という感じです。
そして、それを断りにくいのも集団行為の悪いところです。


また、集団行為には妥協がつきものですね。

A「お昼はパスタ行こ~」
B「(本当はパンでいいのに)そうだね~」

個人行為なら、それぞれがパスタの外食、パンと満足できる結果でした。


これは、政治や経営にも言えます。

C議員「税金のない町をつくろうではありませんか!」
D議員「老後の安心こそ、社会の活力である!」

→ふたりの所属政党「ある程度は公福祉で面倒をみます」

これはだれの理念でもありません。
議員は妥協、党は議員理念の平均ということです。

もちろん、声が大きい人の独裁ではダメですが、個人の声が潰(つぶ)されるのもよくないでしょう。


そして、私たちの政治的,経済的な指向にも言えます。
わざわざ徒党や集団化で妥協する必要はありません。


つまるところ、飲み会に私を誘わないでください。


閲覧ありがとうございました。

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プロフィール

しゅう

Author:しゅう
1991年北海道三笠市生まれ。プロフィール

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