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心の拠り所


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2018-10-02(火)

拠り所(よりどころ)とは“支えになるもの”で、「心の拠り所」というのはしばしば“生きがい”とも言い換えられます。

私の心の拠り所は「過去」であり、特に子ども時代は人生の黄金期かつ今後の夢でもあります。

一般的に、大人になると心の拠り所(生きがい)がなくなると言われます。
私が学生のころ見た掲示板には「働き始めると金は貯まるが、使う時間がない」と書かれていました。
(カネを使いたいかは別にして)確かにその通りです。
「大人になったらいっぱいゲーム買えるじゃん」という憧れは見事に崩れ去りました。

以下は主観です。

人によっては、仕事が生きがい,組織(会社)が生きがいということもあるようです。
しかし、それらに依存すると、いきなり生きがいを奪われかねません。

先日の北海道新聞に「あゆみ会事件」の記事がありました。
あゆみ会事件は1954年に、高校の部活動「あゆみ会」が日本共産党の指示のもと過激な活動をしているという“新聞の誤報”に対して、部員が抗議の末に自殺したものです。

この事件の捉え方はたくさんありましょうが、私は組織への依存の怖さを感じました。


他には、お金やそれを使う趣味が生きがいという人もいるはずです。
どんな趣味にも多少はお金がかかります。お金で生きがいを買っていると言えるかもしれません。

これは、ゲームアプリへの課金が好例です。
課金し成績をおさめることに優越感をいだき、ゲーム(趣味)を生きがいとします。
お金は無限には使えません。貯金が尽きるころに生きがいも尽きるのです。
これはギャンブルや恋愛にも共通しています。


人間関係・家族が生きがいの人もいます。
私にとっても家族や友人は唯一無二の存在です。
ただし、やはり他人を生きがいにするのは危険でしょう。
親はいつか亡くなるし,兄弟姉妹も離散します。
“大自殺国”日本では自殺も遺伝です。


弁明じみていますが、健康や能力,人やお金や時間は裏切ります。
私の生きがいである自分の過去は裏切りません。

私が生きがいを感じることの共通点に“子どものころの延長”があります。
一般には「懐かしい」という感覚でしょうか。

例えば、6年前に自転車で近所にある川の堤防上を延々と走りました。10月の晴れた日で未舗装の道が古めかしくも新鮮な自転車旅でした。
考えてみると、小学生のころに友人と自転車で走ったルートの延長上にあたり、地理的にも行動的にも“子どものころの延長”だったようです。

今の趣味「ソーラー・風力発電」も小4理科の続きでしょう。

逆に運転やお酒やタバコ,ギャンブルそしてフーゾクとまるで無縁なのも、子どものころの延長だと思っています。

私のことをグチグチ書いてしまいました。
決して他人に生きがいを押し付けはしませんが、生きがいとしての過去は自身の深層心理にアクセスできてオススメです。
そういえば、知的好奇心も子どものころの延長ですね。

でも、いつか過去や子どもに戻れたときに、理想と違ったら裏切られた気分になりましょうか。
いや、子どもに戻ったならばきっと自然に受け入れましょう。


閲覧ありがとうございました。

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プロフィール

しゅう

Author:しゅう
1991年北海道三笠市生まれ。プロフィール

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